"好き"探し
- Nanako Murakami
- 2018年11月12日
- 読了時間: 4分
小さい頃、海外ドラマにハマった。
多分その時は「フルハウス」とか「サブリナ」とかだったと思う。
小学生になると、大のテレビ好きな父のおかげで
当時では大きめの液晶テレビが家にやってきた。
私も晴れてテレビっ子である。
姉が夏休みの宿題で使った大きい模造紙の残りをもらって
自作で好きな番組だけをまとめたテレビ番組表を作り、自分の部屋の壁に張っていた。
バラエティ番組とドラマがとにかく好きだった。
小学校中学年くらいで父がスカパーに加入した。
そこでディズニーチャンネルなるものに出会うムラカミ。
ドツボすぎてテレビの前を動かなかった。
朝とお昼のアニメも、夕方からのドラマも、夜の映画も。
カラフルな色使い、キラキラとした衣装やセット、美しすぎるキャスト、キャッチーな音楽。
全てが好きだった。
観ている間はワクワクで胸が踊った。
そして中学校に上がり、今度は海外ドラマチャンネル的なものを発見する。
もちろん釘付け。
中でもハマったのが「GLEE」。
好きすぎて1話見逃すと発狂して床を壊す勢いで地団駄踏んでいた。
訳あって中学3年生で不登校になるのだが、
そんな闇状態の私にそれらは生きる希望を与え続けてくれていた。
そして高校に上がった。
自分のことを誰も知らないとこに行きたかったし
何しろ不登校のせいで内申点悪いしで
埼玉県民が島根県へと旅立った。
ど田舎の寮では愛するテレビはない。
そこでハマるのが音楽だった。
もちろん聞くのは
マイリー・サイラスとか、セレーナ・ゴメス、デミ・ロヴァート、ジョナスブラザーズあたり。(同世代よ集まれ)
愛しのディズニースターに加えて、GLEEのサントラはもちろん
輪が広がってどんどん洋楽を聞くようになっていった。
(よくいる洋楽かぶれにはなりたくなくて、有名どころしか聞かなかったひねくれムラカミ)
そして大学。
もちろん海外ドラマなどで育ったムラカミは海外に行きたかった。
海外で学生生活を送りたかった。
必死でバイトをして費用をため、一人で色んな手続きをして
準備もろくにせずアホヅラでカナダへ飛び立った。
自己費用の短期留学。
好きなようにデコレーションできる自分専用ロッカーとか、
学校1イケてる女の子グループとか、
そのグループに顔面スムージーぶっかけられる負け犬グループとか、
授業が終わるとプリントを投げ飛ばして歌って踊り出す人なんかいない。
それでも、広い道路を自由な運転で行き交う車。
コーヒーと紙袋を片手にカフェから出てくるブロンドの女性。
華やかに輝くショーウィンドウに飾られた派手なハイヒール。
「ニーハオ」と私に笑いかけ、紙コップを向けるホームレスのおじちゃん。
飛び交う色んな世界の言語。行き交う色んな文化。
毎日が夢のようで
毎日胸が踊りまくって
毎日違う映画の主役気分で
毎日が最高で最高だった。
このワクワク感。この充実感。
「あぁ、これが好きなんだ。」
と、実感した。
好きなものを見つけよう。
好きなことを仕事にしよう。
夢を叶えた立派な人々は時々口を揃えて言う。
でもその「好きなもの・こと」を見つけるのって結構難しい。
そりゃあ好きなものなんてたくさんある。
でも人に「好きなものはなんですか?」と聞かれると途端に困ってしまう。
例えば私は映画が好きだ。
でもそれを伝えると
「どの監督が好きですか?」
「年間何百本くらい観てるの?」
「○○は傑作だよね!(もちろん知ってるでしょ?)」
ってな感じで返ってくる。
犬が好きだ。と言うと
「インスタで有名な柴犬サクラちゃん可愛いよね〜!」
「うちの犬の肛門線絞って欲しい!」
「ノヴァ・スコシア・ダック・トーリング・レトリーバー飼いたいんだけど、どう思う?」
ってな感じで返ってくる(こない)。
まぁまとめると
好き=人よりそれについての知識が豊富にあって、愛が異常
だと思われてしまう時がある。
だからへんに「○○が好き」とは言えないのだ。(私だけかもしれない)
そんな面倒臭い思考をもつムラカミが
初めて胸を張って好きだと感じるものができた。
言葉にできない「好き」だが、
形にしようと思った。
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